愛知医科大学医学部・公衆衛生学講座・教授(特任)
日本では、膵臓がんにより年間37,677人(2020年)が亡くなっている。死亡者数はがんの中で第4位。そして膵臓がんは、早い段階で見つけるのが難しく、5年生存率は最も悪い部類に属する。それだけでなく、ほとんどのがんの死亡率が下がる傾向の中で、膵臓がんは、いまだ増加傾向にある。
林教授は、名古屋大学の大学院生のころ、初めて参加した疫学研究が慢性膵炎の全国調査だった。そのころから、沈黙の臓器とも呼ばれる膵臓に関心を持つようになった。膵炎に引き続いて、膵臓がん患者と、そうでない人で生活習慣などを比較する症例対照研究にも加わった。膵臓がんの勉強のため、患者の主治医らと一緒に症例検討会に参加したり、病院の回診も一緒に回ったりしていた。
そのころ強く印象に残ったのが、27歳女性の膵臓がん患者だった。ステージ4の末期。最初のころは診察する医師と直接会話ができて、意識もはっきりしていた。しかし回診のたびに黄疸が強くなり、げっそりした顔になり、最後は意識もはっきりしなくなり、診断から3か月以内で亡くなった。
「その患者の最期の日々の憔悴した顔と、自分の無力感を鮮明におぼえています」と林氏は語る。その記憶が、膵臓がんをライフワークにするきっかけになった。もっと早い時期に診断できるようにしたり、原因をみつけて予防したりできないか、そんな思いがある。
「当時、治療法もあまりなく、原因にも分からないことが多くて、挑戦する価値が十分あると思ったのです」
膵臓がんの研究に取り組んだ当初は、主に生活習慣との関連を調べた。喫煙、飲酒、食事、運動や、糖尿病歴など生活習慣要因と発がんリスクとの関連を懸命に調べたが、強いつながりがあまり見えなかった。10万人規模の住民を10年、20年と追跡するコホート研究(JACC Study)にも参加してデータを集め、論文も相当数発表してきたものの、「これだ」という強いリスク要因は見つからなかった。
「それで、少し方向を転換して、遺伝的要因を探してみることにしました」。双生児の研究では、膵臓がんの発症原因のうち遺伝要因が約36%を占めることがわかっていたので、遺伝要因の果たす役割も大きいと考えられていた。しかしその正体もほとんどわかっていなかったからだ。
愛知医科大、愛知県がんセンター、名古屋大、がん研究会有明病院、神奈川県立がんセンターなどの研究者・臨床医と一緒に研究班を作って、膵臓がんの患者2,039人と、がんではない32,592人を比較して、全ゲノムSNP(一塩基多型)を網羅的に調べた。その結果、染色体上の3か所の領域で、膵臓がんのリスクと結びついている変異を見つけ、Nature Communications の2020年6月24日号に掲載された。
図 横軸は染色体の番号、縦軸はP値。16番の染色体で、膵臓がんリスクと有意な関連を示した遺伝子変異が見つかった。
出典:Genome-wide association meta-analysis identifies GP2 gene risk variants for pancreatic cancer, Lin Y et al. Nature Communications (2020) 11(1), DOI: 10.1038/s41467-020-16711-w
特に注目されたのは、これまで欧米の研究では知られていなかった新しい領域が見つかったことだ。それは、16番染色体にあるGP2というタンパク質をつくる遺伝子の領域に存在していた。
「すごく興味深い発見でした。あれ、このGP2という遺伝子はなんだろうかと早速調べました」
GP2は、膵臓の腺房細胞から分泌されるタンパク質で、十二指腸、大腸などに広く存在している。GP2は、腸内細菌と結合することで、細菌感染から腸を守る仕組みにも関わり、全身の健康状態に影響を与えていることも千葉大などの研究で2021年に報告されている。
1990年に初めてGP2が報告された時は、その機能がよくわかっていなかったが、最近になって感染防御と関わっている証拠が集まりつつあり、注目される研究分野になってきている。「一人でも多くの研究者に膵臓がん発症におけるGP2遺伝子の機能に興味を持ってもらい、そしてメカニズムの解明に取り組んでいただきたいと思って、2021年にGP2のレビュー論文を出しました。」
今回の研究では、GWAS(ゲノムワイド関連解析)という方法を用いている。ゲノム研究が進み、DNAを読み取るコストも下がってきたことから広まってきた手法だ。2014年から計画してスタートした林氏らの研究は、国内でがん疫学者が中心になって始めたものとしては最も早い時期のものになるという。
GWASの魅力は、仮説なしで網羅的にゲノムを検索して、膵臓がんの発症と有意な関連のある遺伝的変異を見つけ出せることだという。「今まで考えられていたこととは、全然違うものが見つけ出せる可能性が期待できる」と林氏はいう。一方で、「ギャンブラーみたいな形で研究費を投じても何も結果は出ないのではないか」と心配する研究者もいて、当初は賛否両論だったそうだ。
林氏らの研究でも、スタート当初に参加する施設が少なかったころは、有意なSNPを見つけることが出来なかった。そこでバイオバンク・ジャパンと国立がん研究センターと共同でさらにサンプル数を増やし、最終的にアジア人を対象にした膵臓がんGWAS研究では最大の規模のサンプルを集めて、成果を見出した。
「サンプルの大きさがものをいう、一番肝心なんです」と林氏。
コホート・生体試料支援プラットフォーム(CoBiA)からは、研究結果の再現性を確かめるための試料を提供してもらい、またimputation (SNPアレイなどには搭載されていない領域の遺伝型を推定する統計手法) などの解析で支援を受けた。試料提供と解析両面にわたる協力は、共同研究の枠組みでは難しいときもあるため、助かったと林氏は言う。
一つの遺伝子の変異だけを、膵臓がんの予防や治療に結びつけるのは難しいので、生活習慣や遺伝子の変異など、複数のリスク因子を組み合わせてリスク予測モデルを作り、予測の精度を上げていく計画だ。「日本人の中でも、どんな人が膵臓がんになりやすいか見分け、そんな人たちに、なるべく早い段階から定期的に検査した方がいいですよ、と助言できるようにできないか、と考えています」。
(2022年5月23日インタビュー)
*感染対策を行い、取材・撮影を行いました。
林 櫻松 (りん・いんそん)
愛知医科大学医学部・公衆衛生学講座・教授(特任)
2000年に名古屋大学医学研究科博士課程修了、医学博士。その後、愛知医科大学医学部公衆衛生学講座助手、講師、准教授を経て、'19年より現職。